Aug 02, 2010
不動産投資信託で明らかになった
不動産投資信託を購入することを、最近は続けている。不動産投資信託は、気軽に始めることができる。初めて知ることになったのは、投資の雑誌だったと思う。株式市場で購入できる不動産投資いたので、なんとなく負担10万ウォン程度を購入してみたのだ。最初はそれこそ何も知りませんでしたが、始めてみると色々見られるのだ。アパートやマンションを買って賃貸収入を得たいと思うていた時期があった。マンションやアパート経営の勉強をしていた頃、ソースを持っているまでにかなり時間がかかることが示された。建物の位置に駅ができたりと、アパートとマンションの収入も早く入って来。しかし、交通の便があまり良くない場所は、入居者が少ない。マンションやアパート経営の勉強してころボン上手なことが書かれていた。
宿毛市平田町戸内の藤林寺で16日夜、約500年以上前から続く「野菜祭り」が開かれ、伝統の竹回しや太鼓踊りなどが披露された。
幡多地域の領主だった一条公が京都にいた時代に鴨川河畔に野菜などを持ち寄り先祖を供養していたのを、この地でも行ったのが始まりとされる。地元では「ヤーサイ」の名で親しまれ、同市の無形民俗文化財に指定されている。
竹回しは、地元民が手渡しでは恐れ多いと竹の先に野菜をくくりつけて一条公に献上したのが由来とされる奇祭で、毎年8月16日に開かれる。
30人ほどの男性と子どもが四角い土俵の周りを長さ5〜8メートルの竹を抱え、代表の「一条公の家例(霊)を申す、音頭について回れ」の掛け声に、全員が「ヤーサイ、ヤーサイ」と竹を揺らしながら、太鼓の音に合わせて土俵を回った。竹が大きくしなる度に、見物客から大きな拍手が起きた。【真明薫】
8月18日朝刊
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◇風船爆弾
1944〜45年に、旧日本陸軍が米国本土を直接攻撃するため、偏西風に乗せて飛ばした兵器。和紙をコンニャクのりで張り合わせた風船(直径10メートル)に爆弾や焼夷(しょうい)弾をぶらさげ、千葉、茨城、福島から約9300個発射した。うち約300個が米国に到達し、オレゴン州で6人の死者が出たとされる。
8月18日朝刊
◇「兵器は作れぬ」逆らえぬまま 悔しさ今も
「日本から直接、米国本土を爆弾で攻撃せよ」−−。安芸市の小松富代さん(85)は太平洋戦争末期、密に計画された「風船爆弾」の製造に関わった。小松さんの役目は爆弾を飛ばして運ぶ際に使う気球の和紙を作ることだった。実際に使用する前に終戦を迎えたが、小松さんは「兵器だから作れませんとは絶対言えなかった。ただ一生懸命やるしかなかった」と、悔しさをにじませた。【黄在龍】
小松さんが15歳の時日米が開戦した。12歳から近くの製紙工場に勤めていた小松さんは18歳の時、別の下請け製紙工場へ「紙すき」の見習いとして行くことになった。「年々食糧も減っていき、少しでも多く稼ぎたかった」と振り返る。下には6〜9歳の弟妹が3人おり、小松さんも一家の家計を支える一人となった。
若い人はほとんどが戦争や労働に駆り出された。工場でも大半が10〜20代の女性だった。紙すきの仕事も本来男性がするが、人手がいないため小松さんがやるしかなかった。持つだけでも重い道具を上下に振りながら、紙をすいていく。午前5時には起きて、作業に取りかかった。1日10時間以上作業し、2000〜3000枚の紙を作った。作業中は手をずっと水につけるため、冬場は手を痛めた。
終戦の2カ月前、責任者から「風船爆弾を作らなくちゃいけなくなったき、一度試しに気球に使う和紙をすいてみてくれんか」と指示された。既に周りの製紙工場でも風船爆弾用の和紙を作り始めていた。「軍部からの命令でやるしかなかったのだろう」。材料には何らかの加工が施されており、すいた紙を水につけても簡単に溶けることはなかった。作業はこれまで以上に困難だったが、日本が勝つためならできると思った。「ラジオや新聞では、毎日のように日本の勝利ばかりが報道されていた」
しかし、本格的に風船爆弾を作ろうと思った矢先、日本の敗戦を知った。「今まで自分は何をしていたんだろう。自分が信じていたのは何だったのか」。全身の力が抜け、頭が真っ白になった。その後、ほとんど何も覚えていないという。
現在、小松さんはユズ栽培をしながら暮らしている。あの時、「私が作った和紙の爆弾が使用され、誰かが亡くなったりでもしたら」と考えると、今でもゾッとするという。「戦争はウソばっかり。もういやだ」。小松さんは遠くを見つめながらつぶやいた。
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■ことば
◇風船爆弾
1944〜45年に、旧日本陸軍が米国本土を直接攻撃するため、偏西風に乗せて飛ばした兵器。和紙をコンニャクのりで張り合わせた風船(直径10メートル)に爆弾や焼夷(しょうい)弾をぶらさげ、千葉、茨城、福島から約9300個発射した。うち約300個が米国に到達し、オレゴン州で6人の死者が出たとされる。
8月18日朝刊
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